モナ・レノン

モナ・レノン
モナ・レノン(2003年研修先のリヴァプールにて撮影)

2013年9月22日日曜日

「あまちゃん」コラム~メディア論点に、音楽社会学的に(1)

震災犠牲者への惜別の歌としての「潮騒のメモリー」




「波を連想させる曲、別れの歌はかけませんでした。かけられませんでした。」
東北地方のラジオ局で、震災後の音楽の選曲について尋ねたところ、どこの局でもこのような言葉が返ってきた(私は震災時にラジオ局が流した音楽について研究をしている)。

ドラマ『あまちゃん』の中でも、震災直後は、映画『潮騒のメモリー』リメイク版のヒロイン天野アキが歌った主題歌「潮騒のメモリー」は、放送自粛となった。「寄せては返す波のように」という歌詞が含まれるこの曲は、被災者の心情を思えば、とても放送で流せるものではなかったのだ。ラジオの現場でも、通常の選曲をするようになったという。震災から半年あるいは1年経ったあたりからだという。 

「潮騒のメモリー」は、ドラマの中では、1986年に封切られた鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)主演の映画の主題歌で、鈴鹿があまりにも歌が下手だったために、天野春子(小泉今日子)が声の影武者として録音して大ヒットしたという、いわくつきの歌である。その曲を北三陸市のご当地アイドルとなった天野アキと足立ユイが、北三陸鉄道のお座敷列車や「あまカフェ」で歌った。それらは震災前の愉快で盛り上がったシーンだった。

この曲は、いかにも80年代のアイドルの曲らしく作られている。70年代から80年代をリアルタイムで過ごした人なら、高田みづえ「潮騒のメロディー」(1979年)、「私はピアノ」(1980年)、ペドロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」(1973年)、松田聖子「小麦色のマーメイド」(1982年)などを容易に連想することができる。

さまざまな歌の断片をつなぎ合わせたようなコラージュ風の作りである上に、「1000円返して」「北へ行くのね ここも北なのに」などふざけたフレーズもあり、いかにも軽いアイドルソングとして聞けるようになっている。脚本の宮藤官九郎が「5分で作った」「何も考えずに作った」とされ、こうしたイメージを補強する結果となっている。

「シュール」な歌詞だと評されることもある。確かに、いろいろなイメージの切り貼りなのだから、そのように取られるのは仕方ない。しかし、この曲を嘗めてはいけない。曲の1番は突然の震災でこの世を去らざるを得なかった人の立場で、2番は残された人の立場で歌われているとして聴くと、どのように聞こえてくるだろうか。

この理不尽な別れに正面から向き合った歌としてしか聞けなくなる。「三途の川のマーメイド」も納得がいく。クドカンは正確には「5分で作った」のではなく「5分ぐらいで書いた感じがする歌詞にしようと思った」と語っている(NHKドラマ・ガイド あまちゃん part2p.42)。考え抜かれた歌詞にちがいない。
 
「潮騒のメモリー」は、80年代風の能天気なアイドルソングであると同時に、震災から2年が経った今だからこそ歌える、震災犠牲者への惜別の歌なのである。RCサクセション「雨上がりの夜空」(1980年)に匹敵するダブル・ミーニングの歌である。